漫画の神様 手塚治虫氏の作品にかける創作意欲やこだわりをひもとく!

漫画家として成功をした手塚治虫さんがどのような思いで作品に向き合ったかを辿ってみました

プロフィール

手塚プロダクション

tezukaosamu.net

ペンネーム : 手塚治虫

(てづか おさむ)

本名 :    手塚治

    (ペンネームと同じ)

職業: 漫画家、アニメ監督、医師

生年月日: 1928年11月3日

死亡日: 1989年2月9日

出生地: 大阪府豊中市

出身: 兵庫県宝塚市

配偶者: 手塚悦子 1989年死去

子供: 3人

生い立ちから漫画家を目指すまでになるまで

裕福な家庭に生まれ育ち、両親が漫画や本が好きであったことから、その影響を受けて幼少時から感性豊かに育ちました。

子供の頃から漫画を書き始めますが、その他に演劇にも興味があったようです。

戦争を体験したことから命の尊さを感じ、医者を目指し医者免許をとりました。しかし漫画への強い思いを捨てきれず漫画家への道に飛び込みました。

ベレー帽にクロブチ眼鏡がトレードマークの漫画家へ

絵を書くにあたって、彼の心の中には常に「命を大事にしよう」という永遠のテーマがありました。

週のほとんどを仕事場にこもり、缶詰め状態になりながら漫画を書いていた手塚さん。

多くの作品の中でもアニメの「鉄腕アトム」、「火の鳥」、「ブラックジャック」、「ジャングル大帝」などがヒットし、今見ても色褪せることがありません。

彼の作品は国内にとどまらず、アメリカ、ヨーロッパ、アジア等に輸出され国際的にも大きな評価を得ました。

最初は書籍のみの販売でしたが、オンラインで漫画大全集、今では電子書籍でも読めるようになりました。

テレビや本でしかみられなかった作品が今ではネットで視聴できるのは、とても嬉しいですね。

「頼むから仕事をさせてくれ」その命つきるまで

彼は60才という若さで胃ガンで亡くなりました。仕事への執念は最後まで持ち続け、入院している中、医師や妻が止めても書き続けたそうです。

マネージャーには、頼むから仕事をさせてくれと言ったそうです。痛みに耐えながらも仕事をする。鬼気迫るものがあります。

睡眠3日で3時間を40年続けていた手塚治虫さん。無茶苦茶な生活をしていたとは思いますが、一方人生を精一杯駆け抜けていけたことはある意味幸せだったのではないでしょうか。

彼の作品は、今までもそしてこれからも人々の心の中に引き継がれていくでしょう。

手塚氏が20年住んでいた町、宝塚市に手塚治虫記念館があります。

記念館を訪れ彼の足跡を感じながら、彼にしか表現できなかった過去の作品に触れることができるのはいい機会になるでしょう。

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